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長岡禅塾物語 第四話「夢中問答(後編)」

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〔夢の中で、大雲新命老師が長岡禅塾第二世森本省念老師と対話している前回の続き。〕

――「それから、もうひとつ、これは浅井老師がおっしゃっていたことですが、最近、昔やった公案に対する見解が変わってきたと。これは境涯の深まりとともに公案に対する見方も変わる。それは、境地がいっそう深くなり、見解がそれだけ練れたものになってくるというようなことかと存じます。してみると、同一の公案体系内においても、いま言ったような意味で変わりうるということなんですね。」

老師「うちの番頭はん(注、実家が大阪でも最古の本屋のひとつであった森本老師は、浅井義宣老師のことをいつもそう呼んでおられたとか)そんなこと言うてましたか。」

――「浅井老師のことはまた後でお聞きすることにしまして、伊深の話に戻らせていただきたいと思います。老師は伊深に疎開されて、正眼僧堂の梶浦逸外老師のもとに通参された。その時の話として、老師が参禅の折によく涙を流された、それを見た逸外老師が雲水たちに、すでに老師になられている方がなおも法悦に咽んで涙をながされるほど一生懸命やっておられるのに、お前たちは一体何としたことかと叱られたそうですが……。」

老師「それ違いまっせ。あれはなぁ、あんな寒いところやから、年取ったら自然と涙が出まんねん。」

 

――「話はさかのぼりますが、老師は四十四歳で相国寺に掛搭された。それまで二十九歳の時から居士として橋本独山、続いて山崎大耕老師に通参されていた。

その当時、やはり居士として片岡仁志先生もおられたわけですが、これは片岡先生から直接お聞きした話ですけれども、それ以前でもお二人は相国寺の通参仲間としてお知り合いだったわけです、ところが、老師が掛搭されてきて間もなく隠寮かどこかで顔を合わることになった時、老師が両手をつき低頭して「お初にお目にかかります。どちら様でございましょうか」と、まるで初対面のような挨拶を片岡先生にされたので、先生は「変なことを言うもんだ」と思われたようです。そして、一切の分別を断ち切って修行するとはそういうことだともおっしゃっていました。」

老師「片岡の言うとること、わしは知らん。兎に角わしはそれまで浄土宗のお寺で寺男同然の生活をしながら相国寺に通参してたんやが、それではどうしても徹底せん。それで思い切ったんや。」

 

――「それでも浄土宗のお寺で浄土宗学を勉強なさっていたようですから、そのことは、たとえば日本の仏教史を見るうえで、またそのことを通して禅の位置を確かめるのにも大いに役立ったのではないでしょうか。」

老師「それはあったなぁ。特に戒律の問題を考えるのに役立った。」

 

――「と申しますと。」

老師「日本の仏教史をひとつの流れとしてどう見るか、いろいろの見方があるかも知れんが戒の問題を中心にして見てみることができる。詳しいことは番頭はんがちゃんと書いてくれてるから、そっちを見てくれたらええ。」(注、『悟りの構造』107頁以下)

 

――「ところでつい最近、老師がかつて禅塾でなさった『槐安国語』の提唱の録音テープが、もと塾生の有志の方によって再生されました。」

老師「ご苦労なこっちゃ。けど、わし、そんなとこにおりまへんで。」

 

――「まさに「先師に此の話無し」ですね。(注、趙州の弟子であった覚鉄觜が法眼から「趙州に柏樹子の話有り、是なりや否や。」と問われて、「先師に此の話無し、先師を謗ずること莫かれ。」と言った。)老師は『槐安国語』のほか、提唱に『論語』を使われたり、花園臨済学院(注、花園大学の前身)で曹洞宗の『正法眼蔵』をテキストとして使われたり、ここでも自由自在でしたね。」

老師「そらそーや。僧堂のお師家さんやったら、やっぱりそうはいかんやろなぁ。」

 

――「そうした傾向は浅井老師にも見られます。浅井老師はここ二十年ほど『塗毒鼓』続編に編まれている「句集」を提唱本として使ってきておられますが、そういうことはこれまでどこの僧堂でもなかったことではないでしょうか。

それに、そのやり方も森本老師の影響を受けておられるのではないかと想像しますが、「句集」の一句一句を自家薬籠中のものにして、それらの各々に対して、その句の内包する法理を語録はもちろんのこと漢籍や禅林逸話、それに哲学・科学の話なども引き合いに出しながら、しかも浅井老師の場合は、その大変中味の濃い話を独特のユーモアのオブラートに包み大法螺を吹いておられます。」(咄。牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる。醍醐毒薬一時に行ず。)

老師「わしに言わしたら新聞でも漫画でも法財ならざるものなしや。」

 

――「しかし、そうなってきますと、多分レベルが高すぎて塾生には理解できないでしょうね。」

老師「もちろん学生はんは分からはりまへんやろなぁ。第一、そんなこと分からんでもよろしい。とにかく参禅弁道に骨折るこっちゃ。」

 

――「老師の場合も隻手の公案がなかなか通らなくて、ある夜など、そのために酔いつぶれて白壁下の側溝にはまっているところを助けられたとか聞きました。」

老師「一生懸命やった雲水なら似たような経験の一つや二つはあるもんや。」

 

――「よくわかります。で、参禅弁道に関して、塾生に対してはどのように指導なさったのでしようか。」

老師「何にもせえへん。ただひたすら鈴を振りつづけとっただけや。」

 

(絶対否定、これ森本老師の活作略にほかならない。

しかもこの絶対否定が室内だけでなく、しばしば日常生活に具体化される。

一例を挙げておこう。

あるとき、ひとりの婦人から一通の相談の手紙が老師のもとに舞い込んできた。

老師はこの手紙に対して一切返答されなかった。

するとしばらくしてその婦人からまた手紙がやってきた。

その手紙に曰く、「無言のお諭し誠に有難うございました」。

かくして一件落着である。

万事この筆法である。

してみると、老師が私とこの問答を始めるにあたって、最初そっけない返事をなさったのも頷けるのである。)

 

――「で、どうなりますか。」

老師「すると、願心のある奴ならほっといても自然に隻手に近づいてきよるからおもろいもんや。」

 

――「老師のそうしたやり方は中国古代の理想の天子、舜のやり方と同じですね。論語に「子の曰わく、無為にして治まる者は其れ舜なるか。夫れ何を為さんや。己れを恭しくして正しく南面するのみ」とあります。」

老師「まぁ、そういうこっちゃなぁ。」

 

――「最後に浅井老師についてお聞きしたいのですが。」

老師「うちの番頭はんのことでっか。あいつはとにかく頭のええやっちゃ。わし、祖渓さんにいつもそう言うてまんねん。

この間、こんなことおましたでぇ。京都の禅会の幹事の方がみえて、浅井老師、頭がちょっと変なんちがいまっかぁ、おかしなことばっかり言いはりまんねん。大丈夫でしょうか、と。それで、わし、ゆうたりましてん。おかしいのは、あんたらと違いまっか。うちの番頭はん、法理はしっかりしとりまっせ。安心しなはれ、と。それで幹事さん、分ったような分らんような顔して帰っていきはりましたわ。」

 

――「そうですか。浅井老師は「森本老師にお目にかかってから狂った頭がもとにもどらない。どうしたらよいのでしょうか」と書いておられましたけれど。」

老師「そうでっか。けどなぁ、言うときまっけど、あの人には弟子はできまへんでぇ。」(〝雲門宗〟命脈を絶つか。蒼天蒼天。)

 

(「えぇ―」。それを聞いて、私はぎくりとして長い夢から目が覚めたのである。)

 

(夢について禅家は確かに一家言を有している。

が、ここではそういった話ではなく、われわれが睡眠中に見る普通の夢のことである。

フロイトによれば、それは無意識化された記憶が抑圧の低下にともなって顕在化することだそうだ。

そうだとすると、今回私の見た夢は、浅井老師からこれまで折に触れてお聞きしてきた森本老師についての話の記憶が、私の心の深層から顕れでてきたものに違いない。

さりながら夢は夢である。

夢は記憶された材料そのものではなく、それがいろいろに加工され歪曲されて意識上に上ってきたものだと言われる。

だから読者諸氏よ、願わくばその点にも留意されんことを!)

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